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ふー

最近昔の話をしてるけど、あまりそんなことばかり書いてもなあ…
本当に、いくらなんでもその話は墓場まで持っていけよというようなひどい話も山ほどあるし。

昨日今日はお休み。翻訳は心から好きだけど、スケジュールがまったくわからないので、たとえば今日みたいにのんびりしていても19時ごろに仕事が入ったりする。そうすると数日はしゃかりきになるので、他の事がすべてストップする。
今回も、三連休直前にどっさりした案件が入ってくる予感がする。そうなると、夫はのびのびしたくても、私が鬼の形相でPCにかじりつきっぱなしという連休になる。ここ数年くり返される光景…
夫は私が好きな仕事をすることを喜んでくれているけど、やはり心苦しい。映画や、ちょっとした遠出なんかできたら楽しいと思うのに。
だから時々、前もって週末にお休みを申告するんだけど、それはそれで「ああ、もしかしたらあのタイトルの、あのへんのシナリオを…今ごろ他の誰かが訳して…」という思いが心をかすめたりして、そういう自分の未練たらしさというか、往生際の悪さは良くない部分だと思う。

もっと定期的な仕事を…と思い、去年は人文系の定期刊行物を出している会社の通信講座を受けてみた。成績が良ければ登録スタッフになれるという、下心と言うか…甘い餌につられて…
でも仕事もあって、母のこともあって、講座の課題はいつも締切直前の数時間でやっつけることになり、当然成績は最高でB+、残りは全部Bに終わった。
もっと余裕があればAをとれたとも思えない難しさだった。やはり未経験の分野でいきなり素晴らしい翻訳なんて、凡人には無理(^-^;)

そういうことは、講座を受けなくてもわかるはずなんだけど、何でもやってみないと実感として飲み込めないのが悪いところかもしれない。
そういう性格だからたくさん回り道をしてきた。
でもこの年になって思うのは、人生は途方もなく長いから、回り道をする時間は嫌というほどあるということ。
だからこれからも、「なぜ今になってそんなことを…」と思われるようなことに手を出し続けるんだろうな。
そのうちフラメンコとかシャンソンも習いたいと思っている。ギターもまた練習したいし、麻雀も再開したい。自分が訳したゲームだってプレイしたい。
そうやって、気が遠くなるような長い時間を、少しでも楽しくつぶしていくんだと思う。